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人生朝露

人生朝露

弓は剣よりも。

ある高校で、部活ごとの体育館の利用の優先順位でもめごとになった。特に剣道部の主将は「俺たち剣道部が最強なんだから、弱いお前らは出て行け!」と主張。確かに「剣道三倍段」というくらいだから強いのは当然。実際空手部と戦っても圧倒的に剣道部の方が強かった。

ここで、「どうせ、剣道だって弓には勝てないでしょ?勝手なまねは止めなさいよ」と、弓道部の女子生徒が止めに入った。当然、剣道部は黙っていない。

ここで、さらに、剣道対弓道の対決となった。

女性ということで、なめてかかったのか、「始め」の合図のときにすでに引き絞って良いと、剣道部の主将はハンデを与えた。矢には怪我をしないようにカバーがかけてあるし、自分の腕前なら矢など叩き落せる。と、高をくくっていたんである。

しかし、実際、弓を構えている相手を見てみると、「そう簡単ではないかな・・・」と思える。明らかに防具の隙間の眉間の狙っているのが分かるんである。「これは死ぬかも知れん」と、自信が萎えてくる。

「始め!」の合図と同時に、剣道部の主将はとっさに「待った」をかけた。

ところが、矢は放たれ、剣道部の主将の頭をかすめて柱に突き刺さった。

カバーが外れてしまって、柱でび~~~~んと揺れていたそうである・・・。

トリビアの泉の最初のほうで、「剣道対フェンシング」の勝負をやっていたが(結果はフェンシングの勝ち)、以前聞いたこちらの話のほうが面白かったので、ふ~~んという感じで見ていた。

さて、昨日「謎とき日本合戦史」鈴木眞哉著(講談社現代新書)を読了。結構軽いタイトルだけど、中身はいかにして日本人が戦ってきたのかという本。戦略や、戦術でなくて、「戦法」についてのお話。

日本の古代での戦闘から、太平洋戦争までの間の日本人の戦法は何であったのか?という視点で書かれている。日本古来の戦闘法は弓を使った遠距離攻撃で、鉄砲が伝来する前から白兵戦をすることは少なかった。昔から刀を振り回して戦ったことの方が稀であったのに、「日本古来の白兵戦」というイメージがどのようにできてしまったのか。最終的には、日本が、太平洋戦争の当時に、なぜ白兵主義を捨てずに「バンザイ突撃」や、「玉砕主義」、「竹槍戦法」まで至ったのかについて言及している。さすがに新書なので、すらっと読める程度の軽さ。

鎌倉や、室町時代の戦による死傷者は、9割近くが矢傷によるもので、戦国時代に入っても「石、礫、鉄砲、矢」によるものであるらしい。つまり、大部分が遠戦で、チャンバラで傷を負うということがほとんどなかったそうである。平和な時代に好まれた軍記物や講談、今でも時代劇やドラマで描かれているような戦いは脚色されて当時の実像とは全く異なるらしい。

一番気になったのが、「日本の騎兵」について。

「弓馬の術」というように、騎兵というのは基本的に「弓兵」なんである。馬上で槍を扱うのは、かなりの技術が必要。(昨日「鐙」について書いたけど、モンゴルの少年たちが、鞍すらつけていない牛に乗って、手綱と鞭を片手にレースをしていたのを見たことがある。やっぱり、生まれついての騎馬民族は違うな。と実感したんだけど、彼らは鐙なしでも弓くらいは引けるそうな。)

さらに、槍を持って戦うからには、武士も重装備が必要。ところが、それだけの馬が日本にはいなかったそうなんである。NHKが、戦国時代の平均的な馬(体高130センチ)の馬に体重50キロの人間と、甲冑の重さ分の砂袋を積んで走らせたところ、10分でヘバッたそうな。使えないな~。

それと、面白いのが日本の馬のもう一つの特徴。
日本の馬は気性が荒い、というところ。日本の馬は去勢されないんである。したがって、言うことをきかないどころか、噛み付いてくる。

(この辺からは個人的な妄想)中国では有名な宦官がいるけど、日本にはいない。(刑罰としてチンチン切っちゃうことは、日本にもあったらしいけど。)もともと、宦官というのは、騎馬民族が馬を大人しくさせるための去勢の技術を、人間に応用した技術なので、この辺と繋がるかもな。そういえば、「馬車と宦官だけは日本が輸入しなかったもの」というのは聞いたことがあるような・・・。

2004年9月13日

(後日知ったが、「この国のかたち4」で司馬先生がこの話題について考察なさっている。もちろんこの文章よりもはるかに多くの資料と知識、深い洞察がなされているので、是非ご一読を。)


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